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キャリア

化学プラントの機電系エンジニアリングを一通り体験|2~6年目体験談

入社2~6年目 キャリア
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化学プラントのオーナーエンジニアとしての私の経験を紹介します。

今回は入社2~6年目くらい。

6年くらい経ってようやく一人前感が出てきました。

そこまでの期間はとても苦労した記憶が残っています。

1年目も苦労したのですが、2~6年目はもっと苦労しました。

この壁を乗り越えると多少楽になりますが、そこまで耐えることができるかというのは色々な運が必要になりそうな気もします。

キャリアや適性を考えだすタイミングでした。

入社2年目~3年目

入社2年目から3年目の間は、比較的大きなプロジェクトに参画できました。

私が勝手につけているプロジェクト難易度でレベル5のもの。

仕事を止めない

ほぼ何も知らない状態でプロジェクトに入るので、仕事を自分の手で止めない・分からないところは誰かに聞くということは徹底しました。

上司にも何度も怒られました。

上司
上司

説明の仕方が悪い・物事を簡単に考えすぎている・自分で考えていない

今こんな言い方をする上司はかなり少なくなっているでしょうか。

何回もくじけそうになりました。

それでも仕事を止めることはしなかったので、結果的には信頼を得られたのだと思います。

以降も、それなりの規模のプロジェクトを担当することが増えていきました。

ちゃんとしない人は、報告すらしない・フォローができなくなるまで炎上してから報告する、という結果を出しますので。

製造に入り浸る

年数の浅いオーナーエンジニアは製造現場に入り浸るくらいでちょうど良いでしょう。

設計者であれば1日に1回も製造現場と話をしない、という仕事をすることも不可能ではありません。

でも実際に使う製造の発想を知らないと、設計者として自信をもって仕事をすることは難しいです。

コミュニケーション力のある話好きな人なら製造に体当たりで話をしに行けるでしょうが、私のように簡単に製造に聞きに行けない人もいます。

それでも現場には行きましょう。

他の設計や保全の人が話している横に立っているだけでも良いです。

そのうち話ができるようになってきます。

施工会社の人とも話をするようになるでしょう。

私は、朝と昼に最低1回は製造現場に行くことを、3年以上は続けました。

建設工事を見れた

建設プロジェクトに関わって、プラントの増築工事を見ることができました。

ユーザーのエンジニアなので、工事現場では言葉通り眺めているだけでした。

工事のマスタースケジュールも作成しますが、適当です。

各担当者に詳細は任せっぱなしです。

配管が何かと干渉したときも、解決方法を見つけるのは図面屋さんに依頼。

完全に丸投げ担当者でした。

それでも杭打ちからプラントが出来上がるまでを見る機会は、初めてだったので勉強になりました。

この辺りで、丸投げに慣れてしまう危機感を覚えるの分かれ道が出てくるのでしょう。

入社4年目

入社4年目くらいでは、プロジェクトではなく簡単な配管増設や機器の更新という仕事をしました。

2年目~3年目の記念設計業務(記念受験みたいなもの)ではなく、完全に自分で仕事を回す感じです。

簡単な設計ですが、プラント数が2~3倍くらいになります。

  • 設計の基本を知らないと即答できない
  • 周りの人は答えを出さず、設計者が答えを出すのを待っている
  • 複数のプラントを同時並行して管理することが必要

プロジェクトの規模を例えば単純な金額だけで評価してしまうと、とても小さなものでした。合計で1億円もありません。

では仕事が楽かというと、そんなことはありません。

自分で判断根拠を持って即答するには、かなりの知識が必要です。

分からないけど間違った答えは出してはいけない。

「少し調べます」とその場を逃げて、何とか解決法を探していきます。

担当プラントが多くなるので、案件の整理とタイムリミットの管理が複雑になっていきました。

丸投げしていても物事は解決しない、かえって時間が掛かるシーンが多かったです。

就業時間中は常に質問に追われていて、ゆっくりとした設計はできていませんでした。

残業時間にハンドブック片手にExcelで設計する日々。

この辺りで、何でも即答できる力が必要だと強く感じました。

入社5年目~6年目

入社5年目~6年目は、入社2年目~3年目と似たような規模のプロジェクトに関わりました。

規模で言うと10億円くらいの仕事です。

2年目~3年目は単に見ていただけでしたが、これを完全にコントロールしなければいけません。

リベンジです。

このころはとても大変でした。

残業がとても多く、日を跨ぐことを。

仕事としてはこれまでと同じような設計の仕事で、設備が変わるわけではありません。

単純に設計する数が多くなるのと、プロジェクトとして関わる人が多いです。

これを何とか完成させました。

仕事が終わってホッとした、ということをエンジニアリングの世界でよく言われますが、このことかと共感したことを覚えています。

5年目~6年目までは自分1人で何とかする世界でした。

仕事の流れをほぼ完全に理解できたタイミングでもあります。

周囲から問い合わせがある質問もほぼ自分1人で答えを出すことができる状態でした。

体力がある若いうちだったので、時間を掛けても1人で担当することができました。

こういう仕事の仕方は今後長続きしません。

メンバーと協同で仕事をする能力が求められていきます。

当時はそんなことは全く考えずに、自分のスキルを上げることと達成感を持つことに全力を費やしていましたが・・・。

周りの仕事が遅い人に対しても、プレッシャーを与え続けて付いてこない人が悪いというような雰囲気を出していたと思います。

自分1人だけが残業していたのに、周りの人が楽そうにしていたり、飲み会の予定を立てて楽しそうにしている姿を見て、嫌な気持ちにもなりました。このタイミングで転職を考えてもおかしくなかったのですが、当時は全く考えずに自分の限界にチャレンジしていました。30歳になるかならないかだったので、微妙な年ごですね。

仕事を理解するにはプロジェクトが必要

入社2年目~6年目は仕事を理解するという時期だったと思います。

一連のサイクルが1~2年かかるということと、それなりの規模のプロジェクトに関われるかということで、習得年数が変わっていきます。

大きなプロジェクトに関わらない場合、1年程度で完遂する仕事を毎年こなしていくだけで、すぐに飽きていたと思います。

規模の大小にかかわらず仕事は仕事なのですが、軽視してしまう気持ちも理解できます。

プロジェクトでなければ経験できない仕事もあり、視野を広げる意味でも大事です。

超大型プロジェクトとは違って、中途半端なプロジェクトだと接する人や接し方があいまいです。

超大型プロジェクトのように、全員が真剣に取り合ってくれるわけでもありません。

だからこそ、相手の立場や地震の立ち位置なども整理ができる機会でした。

そういうプロジェクトが若いうちに定期的に発生したので、ユーザー系のエンジニアとしてはかなり恵まれていたと思います。

最後に

入社2年目~6年目の私が化学プラントの機電系エンジニアリングを一通り体験するまでの期間の話をしました。

大きなプロジェクトに関われるというのは、経験としてはとても大事。

若いうちにできるだけ経験しておいた方が有利です。

それこそ適性を自分で見極めて、転職するかどうかを判断するという意味でも。

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