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化学プラントの機電系エンジニアが異動しました|11~15年目体験談

11~15年目 キャリア
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入社後11年目から15年目くらいまでの話です。

同じ機械系エンジニアの仕事をずっとしていましたが、このころになってようやく異動がありました。

キャリアプランなんて、あってないようなもの。

私にはピッタリ当てはまります。

11年目:引っ越しを伴わない異動

最初の異動は11年目

それまでは、ずっと同じ場所の同じ部署で仕事をしていました。

担当プラントは多少変わりましたが、それでも工場全体の50%程度のプラントを行ったり来たり。

残り50%のプラントは担当をしたこともありません。

通常は、引っ越しを伴う異動があり、それも5年程度の短いスパンで行われる組織で、です。

「大きなプロジェクトがあったから仕方ない。」

聞こえは良いのですが、そのせいで考え方は凝り固まってしまうし、他の部署の考え方を学ぶ機会も少なかったです。

そんな状況で発生した異動。

期待はしたのですが、同じ工場内の別部署への異動でした。

部署は製造に限りなく近い部署。

プロセスエンジニアが多い組織でした。

年下に教わる

それまでの私の仕事先は、ほとんどが年上でした。

異動先では私は初心者。

仕事内容もこれまでのエンジニアとは全く違い、プラントの運転に関する調査や調整がメインです。

合成や化学工学をフルに使う職場。

分かるわけがないですね。

年下の方に教えてもらうことがとても多かったです。入社2~3年目の方にも技術的な内容を教えてもらいました。

10年以上そういう環境に居なかったので、最初のころは違和感がいっぱいありました。

急に訳のわからない部署に異動して、いい歳しているのに若い人に教えてもらっている姿が、嫌だったことを覚えています。

エンジニアの時とは違って、現場を動く時間が増え、即決即断しないと行けず、残業も多く、翌日にはまた対策を考える、という辛い仕事でした。

機電系エンジニアが大変だというのは真っ赤な嘘、だということをこの時に知りました。

この時くらいから、化学プラントの機電系エンジニアとして仕事をすることに、疑問を持つようになりました。

だから、この時の経験は良かったことだと思っています。

12年目:引っ越しを伴う異動

11年目に初めて異動した職場は、1年程度でした。

12年目には初めて引っ越しを伴う異動がありました。

それも海外中国でした。

日本国内ですら異動がなかったのに、急に海外それも中国ということで驚きました。

しかし、嫌な気分はなかったです。

頑張れるチャンスだと思いました。

掛け持ち

仕事はエンジニアリングとメンテナンスと運転管理と運転支援の4つくらいを掛け持っていました。

大変そうに見えますが、プラント数が多くないと慣れれば意外とできるもの。

慣れるまでには相当の時間が掛かりました。

言葉も違えば文化も違う。

仕事が進まないことに悩みました。

ここで学んだことは、いっぱいあります。

  • メールの返事は早ければ早いほどいい
  • とにかく相談
  • 本質・ポイントをとらえようとする
  • 時間を掛けて細かくチェックすることも大事

時間を掛けて返事が遅いわりに、ポイントは掴んでいない。

そんな仕事の仕方でも日本国内では何とか処理できていました。

周りの人のサポートが強かったからですね。

中国ではそんな人はいません。

自分が関わることは全部自分で処理しないといけません。

周りの人に依頼していたことでも、自分が処理します。

配管図を書きつつ、壊れた設備の補修依頼をしつつ、運転トラブルの解析をして対応を考えつつ、現場が安全に運転しているかチェックしつつ、次の投資のことを考える。

こんな感じでとにかく色々やっていました。

全体が見えてくる

自分で色々な仕事をしていると、仕事の繋がりが分かり全体が見えてきます。

製造という仕事は、エンジニア歴の長い私にとってはお客様。

そのお客様がどういう仕事をしていて、誰を相手にしているかを知ることはとても大きな意味がありました。

製造との関り方が変わります。

日本にいるとき
日本にいるとき

良く分からないけど、ここまで考えたから後は製造で判断してもらおう

中国にいるとき
中国にいるとき

製造にこれを聞いたら、おそらくこう答えるだろう

(何なら、聞かなくてもこっちで判断して良いだろう)

自分で予想できる部分が増えていき、交渉がしやすくなりつつ判断力も磨かれました。

他にも間接部門との関りが一気に増えて、化学プラント内でエンジニアが担当している部分はとても小さいものだと実感しました。

15年目:帰任

15年目には帰任しました。

いろいろな部署を経験したので、次はどこだろうと期待しました。

移った先は、最初の部署

これは落ち込みました。

楽勝

最初の部署では技術的に学ぶことはありません。

現に帰任したときには、私が最も詳しいという部分が大半でした。

特に製造との関係などは、圧倒的。

関わる人は少なく、狭い世界に逆戻り。

モチベーションはグッと下がりました。

私の仕事の仕方が変わっておそらくレベルアップしたのに、部署の周りの人は変わっていない。

適当に仕事をしていれば、時が勝手に過ぎ去る楽勝職場になっていました。

帰任したら無双できる、というのは私にとっても当てはまりました。

このタイミングで、転職していたら人生もっと変わっていたでしょうね。

異動が多い

入社10年目までは異動が全くなかったのに、15年目までに5回くらい異動がありました。

技術系の典型ローテーションである5年で1回でも15年目では3回。

5回だから軽く越えています。

事務系でも3年に1回というレベルなので、気が付いたときには同じ程度の異動をしていたことになります。

不思議ですね。

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最後に

入社11~15年目には異動がいっぱいありました。

海外異動もあり、関わる人の数・範囲や仕事の考え方など色々を学びました。

この時の経験は、今の私にもとても影響を与えています。

しかし、15年目にはまた元の部署に戻ってしまい、モチベーションは急降下。 ここで辞めていれば人生変わっていたでしょうね。

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