今回は私の経験について記事にします。
私はいわゆる高学歴です。機械系の大学院を卒業しています。
そんな私が化学プラントの機電系エンジニアとしてのキャリアを歩んでいます。
不思議かも知れませんね。
あまりこの道を進む人はいませんから。
だからこそ、入社1年目にはいろいろな失敗や戸惑いがありました。
そんな私でも、15年以上機電系エンジニアをやっていますし、海外勤務もしましたし、同期の中でも昇進速度は速い方です。
気が付いたら成長していたのでしょうけど、最初はどれだけ酷かったのか、1年目に経験したことを書いていきます。
入社後1カ月(全体教育)
入社後1カ月は新入社員が一か所に集まって受ける教育でした。
ここで私は結構なカルチャーショックを受けました。
積極性がないことに気が付く
最初のショックは自身の「積極性のなさ」です。
化学会社に入社する人は、いわゆる高学歴の人が多いです。
大卒・修士卒だけでなく博士卒もそれなりにいます。
全体としては化学系の卒業者が多いですよね。
よく勉強していて研究は好きだけど、ぱっと見は消極的というようなイメージすら持ちます。
ところが入社した人の6~7割はそんな印象ではありませんでした。
積極的です。
とてもよく話します。
一方で、私なんて何も話せませんでした。
機械系の学生は少なく、化学系の人と会話があうことはなく、話しかけようという気はすぐになくなりました。
人の輪に入らず、いつも1人で過ごす。
休みの日も同期と遊びに行ったり飲みに行ったりなんて、しませんでした。
その間にも同期は仲良くなり、夢を語り、モチベーションをどんどん上げていったようです。
ここですでに出遅れている感がありました。
勤務地を知らない
入社してすぐに勤務地を聞きました。
ところが、私はその勤務地を知りませんでした。
僻地だったから?
それもありますが、そこに工場があるということすら調べていませんでした。
- あれ、そこって日本のどの地方にあったっけ?
- 近くの都市圏ってどこだっけ?休みになったら逃亡して遊びに行ける?
- そもそもどうやって僻地まで行くの?
- コンビニあるの?
- 買い物どうするの?
なんかいろいろな不安ができました。
当時はインターネットでもあまり多くの情報が出ておらず、かといってほかの手段で調べるわけでもなく、
「ごめんごめん、配属先間違えていた」
という話が来ることをひたすら待っていました。
配属先の仕事内容を知らない
勤務地を知らなければ配属先の仕事なんて全く知りませんでした。
設計?工場?保全?
何ののこと状態でした。
機械系の仕事ができるから、何かしらやっていけるだろう。
それくらい根拠なく配属されるまでの時間を消費していました。
今考えると、相当の冒険ですね。
少しでも前もって調べることなんて、いくらでもできたでしょうに。
入社後3カ月まで(現場実習)
入社してすぐに現場実習に行きました。
これは非常に危険。
そもそも興味もモチベーションもなかった配属先で、就職先を間違えたから転職しようという気を削ぐ囲い込み作戦にはまります。
助走期間と言いながら、実質は囲い込みです。
何もしなくても給料は貰えます。
現場のことも少しは知れます。
今考えると良くできたシステムですね。
同期はすぐに崩壊する
同期でも積極的な人は、現場の人とどんどんコミュニケーションを取っていき、一緒の飲みに行ったりして組合にも関わるようになっていました。
そんな中、私は1人で居ることが多かったです。
同期からも浮いていました。
でも・・・
実は同期でも他に浮いている人が出てきます。
化けの皮が剝がれます。
入社1カ月のことは頑張って積極性を出していた人でも、実はリア充ぶっていた。
そんな人がちらほら。
気が付けば、積極的にコミュニケーションを取るような人は、全体の2~3割もいなくなっていました。
「同期会」とか「同期の結束」とかそんな単語は、数カ月もしたら誰も言わなくなりましたね。
勉強しない
現場実習は現場を知る勉強の機会です。
この機会に私はほとんど勉強してませんでした。
単に見るだけです。
ここで現場のオペレータと積極的に会話して、現場のことを知ればとても大きな勉強の機会となります。
私は全く活用しませんでした。
3カ月経っても入社前と知識はあまり変わっていない状態です。
実務開始
現場実習が終わって実務を始めました。
いわゆる設備設計を担当することになりました。
ここで挫折をいっぱい繰り返します。
何も知らない
そもそも化学プラントのことを何も知らないことに、この段階で気が付きます。
「あれ?この人現場実習で何学んできたの?」
って顔を上司や先輩にされた記憶もあります。
- ポンプって何?
- 熱交換器って何?
- 配管って何?
- 材質って何?
現場で散々見てきたはずなのに、言葉通り「表面的」な部分しか見てなかったので、設計しようと思っても何も知りません。
時間だけが過ぎていきます。
機械系の学生だから工場のことを知っているというのは、完全な認識間違いです。
化学系の人にありがちです。
もっとアカデミックなことを研究するので、工場それもマニアックな化学プラントのことなんて知るはずがありません。
とはいえ化工系の人は、化学プラントのことは知っていて当然という目で見られるので、それはそれで苦労は大きいようです。
現場で質問されても「持ち帰って検討します」しか言えず、事務所で上司に教えてもらってその文面通りに回答する。
こんな日々が続きました。
質問されて、自分で考え、答えを教えてもらう。
この繰り返しで少しずつ知識を蓄えます。
まさに「現場で鍛えられる」ですね。
今思うと、上司が教えてくれるだけマシだったと思います。当時は教えてくれない上司もいっぱいいました。
計算はほぼしない
機電系エンジニアは実は計算をほとんどしないという、現実に対面しました。
学生自体は計算ソフトを回したり、複雑な行列計算をしたりしていましたが、機電系エンジニアリングの機器設計では計算はほとんどありません。
せいぜい、数行の計算式に値を当てはめるだけです。
もっと難しいことをすると思っていたのに、なんか違う。
こういう挫折感を味わいました。
とはいえ、計算式の複雑さはどうでもよくて、
- 計算式の物理的意味をちゃんと考え、
- 数値や単位の意味をちゃんと理解し
- 現場で起こっている現象をちゃんとイメージする
ことの方がはるかに大事です。
数学や物理の試験ができたから設計もできるだろう、という思い込みを捨て去る良い機会でしたが、ショックは大きかったです。
計算なんて設計業務の2割くらいしかないよ。
そういう風に上司から言われたこともありましたね。
今では2割でも多すぎで、2分の間違いだろうと思っていますけど笑
書けるけど話せない
入社してから実務開始までコミュ障をずっと貫き通してきたツケを払う時が来ました。
設計書を書くことはできても、離せない。
言葉が出ません。
- 設計書を提出して、上司や製造部と議論しようと思ってもできません。
- 設計書を書こうとして、誰かに聞こうと思ってもどう聞いていいか分かりません。
- 質問したら「こんなことも知らないの?」という目で見られそうで嫌だった。
勉強していなかったので、この段階で知っておくべきことを知らずに、質問もできない。
泥沼にはまった感覚でした。
本を見るという思考はなぜかなく、インターネットを調べても有力な情報はほとんどありませんでした。
社内基準は数が多く索引がなく、何を見ていいのか分かりませんでした。
この辺の思いは今でも色濃く残っています。
設計書を提出したら赤ペンが入り、上司の解説を一言一句漏らさずメモを取り、設計書を修正する。
これを地道に繰り返しました。
最近の部下は、メモを取らずに頭の中で理解しようとして情報処理が追い付かないケースが多いので、メモを取れということが多いです。
この辺はモチベーションの違いかもしれませんね。
即ダメだし
何か発言しようものなら即ダメだしが来ます。
専門用語を理解しておらず話すこともできないので、高学歴なのに何もできないの?と自分を責めることも増えてきました。
いろいろありましたが、よくあったパターンです。
- 会議中に発言したら、その場でみんなの前で否定されます。
- 事務所の机の前で、立たされて否定されたりしました。
- こんなことも分からないの?と言われます。
今やったらアウトですね。
当時は、「情報は自分で取りに行くもの」「上司は部下を基本放置」「最低限の発言として否定だけはする」という風潮でした。
今ではコミュニケーションが取りざたされて、だいぶ改善しましたけど。
当時の上司たちは今もあんまり変わっておらず、そういう教育を受けた私たちが部下に対して教育するときだけ、コミュニケーションがなっていないと否定されます。
サンドバックな取りまとめ役
機電系エンジニアの中でも機械屋は取りまとめ役をしないといけません。
ここでも挫折します。
- 設計書の検図
- 現場で工事施工計画を議論する
- 工事工程をまとめる
- 現地工事で不具合があったときの対策を協議する
- 試運転で不具合があったときの対策を協議する
いずれの場合も、機械設計担当者が指揮を執ります。
とはいえ何も知らない設計者。
いろいろな質問や指摘を喰らうだけのサンドバック係になります。
これは結構効きました。
何も知らないけど、否定だけはされる。
今やれば完全にアウトです。
世間ではまだこういう雰囲気は残っているので、弊社のようにホワイト化している方が珍しいかもしれません。
とりあえず耐える
入社1年目で何も分からない時期は、とりあえず耐えるというのが私の解決法でした。
大学院まで行ってあれだけ難しいことをしてきたのだから、工場の機電系エンジニアの簡単な仕事で負けていられない。
こんな思いを持ちながら、耐えていきました。
残業もそれなりにしました。
辛かったかどうかというと、あまり覚えていません。
覚えることはいっぱいあったし、若かったからかも知れませんね。
耐えて慣れてくれば、同僚や先輩と話すようになって、金曜日に飲みに行くなんてこともできるようになってきました。
分かりやすいキャラを作る
1年目は分かりやすいキャラを作るというのも、1つの手段です。
私のように控えめ、というか積極的に会話に参加しない人でもキャラ設定だけで、ある程度はやっていけます。
酒・釣り・風俗くらいが鉄板のネタで、キャラ設定もしやすいでしょう。
組織によっては麻雀・パチンコ・競馬・競輪なども設定できますが、ケースバイケース。
無口でもその話題だけなら付いていける、という何か1つ「光る」ものがあれば十分です。
希少価値の高い機電系エンジニアなので、きっと歓迎されるでしょう。
最後に
入社1年目の私が経験したことを簡単にまとめました。
化学プラントの機電系エンジニアなんて何も知らずに体当たり入社して、かといって勉強もせずに実務に突入した結果、挫折をいっぱい繰り返しました。
大学で頑張ってきた自信と分かりやすいキャラ設定をして、耐えることで1年を過ごせたと思います。
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